■黒はんぺんのヒミツ

●静岡おでんに欠かせない種
 関東生まれの僕は、黒はんぺんを「つみれのようなおでん種」と表現するのだが、静岡人に言わせると「まったく別の物」らしい。たしかに黒はんぺんは、つみれと違ってでんぷんで固まっている歯ごたえがあるし、つみれのようにすり身の粒が残っていない。
 東海道を東から西にたどっていくと、由比の辺りから黒はんぺんをよく見かけるようになる。「はんぺんください」と言えば、何も聞かずに黒はんぺんを渡されるだろう。
 また、愛知で「はんぺんください」と同じように言うと、さつま揚げやゴボウ巻きのような揚げかまぼこ全般が出てくる。このように、同じ言葉でも、地域によって意味が違う例は意外に多い。
 さて、黒はんぺんの本場・焼津市では、スーパーで買える種類が増えた。商品名は「はんぺん」「大はんぺん」「はんべい」「大はん・はんべい」など。ほかの地域では小判型が多かったが、焼津では全部半月状である。「はんべい」という商品名も焼津以外であまり見ない。
 はんぺんの由来は、「半弁」がなまったとか、容器のふたや型を用いて丸く平らに作った「半平」からきたとか、ふたつに割って板に付けた「半片」からきたとか、諸説がある。
 おもしろいのが、江戸初期の慶長年間(1596〜1615)に、駿河の料理人・半兵衛が考案したという説である。
「その昔、徳川の家康公が庶民の家でお昼を食べることになり、そのときの主が、家の前で取れた魚をすりつぶして熱い汁にして出したらしいんですね。それで、家康さんがこの汁の名前を聞いたところ、主は自分の名前を聞かれたと思って、半兵衛ですと答えた。それで魚のすり身の名前がはんべいになったとか」
 そんな話をしてくれたのは、焼津市にある黒はんぺん屋「山下商店」の主人・山下實さん(70歳)。山下商店は大正初めの創業で、焼津ではもっとも古株の店である。
 焼津では、黒はんぺんのことを「はんべ」と呼んでいて、ちょっと上品な言い方が「はんぺん」だったという。
「実は、黒はんぺんという名前を付けたのは私が最初なんです」
 山下さんは、他地域のはんぺんと区別するために、1962(昭和37)年に「黒はんぺん」という商品名で売り出した。いわば、黒はんぺんの名付け親なのである。
 昔、焼津には黒はんぺんを専門に作っている業者が30軒あったそうだが、今は七軒に減ってしまった。その理由は何だろうか?
「最盛期の秋から春にかけて、朝二時から夕方までの仕事だったからね。夜の7時にはもう寝てしまう。家族との生活が半日ズレるんですよ。だからお嫁さんは家事や子育てが大変で、だんだん跡継ぎがいなくなったんでしょうね」
 黒はんぺんの製造工程は、まず冷凍のサバをトロ箱に移して自然解凍するところから始まる。山下商店では、頭は内蔵を取り除いたサバを仕入れている。翌朝、チョッパーという機械で皮と骨ごとミンチにし、冷蔵庫で一晩寝かせておく。
 機械化された石臼(擂潰機)にすり身を入れて、でんぷん・砂糖・塩・調味料を加えて練る。できあがったすり身を成形機に送って型取りし、100度で5分間ゆであげる。そのまま蒸し器に1分通してから、5度の放冷機で15分かけて冷ます。この過程で余分な水滴が飛び、日持ちがよくなるそうだ。
 黒はんぺん作りが機械化したのは、1968(昭和43)年ごろ。それまでの手作業では1日800枚しか作れなかったというが、今は1万枚以上も製造できるようになった。手作業で行なうときに、円盤状の木枠(昔はお椀のふただった)を使う。刃のない付け包丁を使って木枠の半円部分にすり身を盛り、お湯のなかに落としていく。木枠の半分で成形ところから「半平説」が出ているようだ。
 山下商店の黒はんぺんは、10枚入りで60円と激安。市販の黒はんぺんのなかでは少し薄いタイプだが、それでも味は変わらない。これだけ安いと、フライやバター焼きのように気軽な食材として使えそうだ。
 また、焼津の黒はんぺんはサバが中心で、静岡や由比ではイワシが多い。桜エビ漁が盛んな由比ではあまりサバが取れず、定置網にイワシが入ったときに黒はんぺんを作っていたらしい。元々、駿河湾を漁場とする漁師の家で、自家用に食べられていたイワシを保存するために考えたのが黒はんぺんの始まりといわれている。
 同じはんぺんと呼ばれる物でも、東京のはんぺんと静岡の黒はんぺんでは、材料も製法もまったく違う。半兵衛が家康に作った汁物はどんな味だったのだろうか。そんなことを考えながら黒はんぺんをほおばるのも、また楽しいのである。

戻る